言葉ってヤツは必要に駆られないと覚えないものだなぁ。
と日々の生活の中で常々想うものである。
もう三年近くインドに住んでいるのに、
自身のヒンディ語のボキャブラリーは、
真面目に勉強した人の1日分程度の有様ではないか!?
と余りのボキャ貧ぶりを嘆いている。
そんな風に自身の半生を振り返りながら、
例えば今まで行ったことのある国の言葉を口ずさんでみる。
残念ながら伝わるのか?は別として、
タイ語や中国語?、
フランス語、ドイツ語、イタリア語、
何となく思い浮かべてみると、
会話のきっかけやトイレの有無とか、
きっと当時必要に駆られて覚えたのであろう
言葉がツラツラと出てきたりする。
そんな訳で現在の公用語である、
ヒンディ語と英語に思いを馳せる。
まぁ英語のボキャブラリーも結局、
渡印当時とそれ程変わらない気もするが、
勢いで日常会話位なら困ってはいないとはいえ、
それはきっと、困らない程度の言い回しで済ましているだけだ。
ヒンディはヒンディで、
毎回教えて貰いおうむ返しを繰り返すだけで、
次の瞬間には忘れてしまう鳩みたいな有様なのだ。
停電や謎のネット不通にでもならないと、
ソレらのテキストを開くことが滅多にない。
開いたところですぐ眠くなってしまう悪癖をこじらせる。
日常の会話で覚えるコトも十分可能なんだろうけれど、
ソレを記憶に留めておくには復習が必要なんだと思いながら、
メモをとる習慣がなかなか付かないキリギリスは、
そんな堂々巡りを長々と続けているようなんだ。
インド東北の皆さまは、
地元の言語を別として、
英語とヒンディ語を覚えないと仕事にならない。
インド地元の皆さまも、
英語が出来ると仕事を得る幅が広がって、
給料にも具体的に反映するからきっと必死だ。
おいおい君は何をしているのだ?
何事も自分で取りに行かないと、
何も得るモノは無いってことだぜよ!?
とインターネット不通のこんな夜に、
フニャフニャな自分に言い聞かせて、
ビジネス英語やらヒンディテキストを開いては、
折角の機会と自身の不甲斐なさに向き合っているのである。
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