計画的のつもりで、 無計画に飛び込んだインド生活の、 テンヤワンヤなコトの顛末を綴ります。
強制的なのか?
自発的なのか?
どちらにしても色々手放してしまったセルフ断捨離な年末を経て、
せめて新年だけでも清らかに過ごそうと、
聖地リシケシにやって来たボクらである。
新年早々の謹賀新年元旦は、
ノンアルコのベーガンスタイルはもちろんのこと、
更にデトックスなアーユルベーダマッサージを受けることにした。
もちろん厳密に言えば、
リシケシはヨガの聖地ではあるが、
アーユルベーダは恐らくケララ州の産物だし、
まるで広島風お好み焼きを秋田辺りでタシナムような話であるのは承知の上だ。
道すがら数あるアーユルベーダサロンを訪ねたあげく、
マッサージすら人生初の、
アーユルベーダトリートメントを受けることになった。
通された先は、
とあるホテルの一室だった。
まずは、
横になって目を塞がれ、
頭にひたすらオイルを注がれ続けるトリートメントから始まった。
(名前は忘れた)
目を塞がれて、
したたるオイルの軌跡を目玉が追い続ける不思議な体験の後は、
全身オイルマッサージの出番である。
ちなみにアーユルベーダ。
理論的で非常にまじめなマッサージであり、
男には男のマッサージ師、
女には女のマッサージ師が施術するれっきとした医術である。
それにしても、
オニーチャンにオヘそをグルグルされて、
悶えて声が出ちゃったのは内緒ではある。
だんだん慣れて来た気もしなくもない終盤、
恐らく使い回すオイルに異物が混入し始めていることを肌で感じていた。
だって、
ベッドシーツは毛布だし、
寒いからと掛けてもらうのも毛布なんだ。
そりゃ、
全身オイリーな身体の上に毛布を掛けたなら、
そいつのダマがオイルに混入するのは必然だろうと悟ることは容易だろう。
そんな訳で、
だんだんラフな印象を感じながらも、
初体験の面白みを味わっていたんだが、
さすがに最後にシャワーを浴びれないというトリートメントには鳥肌が立ったとしか言いようがない。
「はい、おわり!」
「(オイルまみれなので)シャワー浴びたいんだけど。」
「え!?まじで?ほっとシャワーは30分以上待つけど」
セッカチなコチトラは、
じゃあ要らない!と断ってしまったものの、
油まみれの頭と濡れたシャツで過ごすその後のヒトトキはなかなかの試練であった。
本来ならば、
数日を掛けてじっくり施術されるアーユルベーダを、
ものの数時間のテンポラリー体験だけの物見遊山なお気楽スタンスではあったが、
もしも施術されるならば、
シャワーの有無は確認した方が良いのかも知れない。
まぁ妻曰く、
はじめに確認したけれど、
有耶無耶にされて結局無かったことにされたってのもあるらしいけどね。
その後、
油が付着した衣類を洗うのは、
やや大変だったことだけは間違いないんだ。
これでもか!
と言わんばかりに、
骨盤を痛めるんじゃないかという程の悪路での、
アクロバティックな7時間のバス移動を経て、
リシケシに辿り着いたのは午後11時を過ぎた頃だった。
上流のラクシュマン・ジューラーへオートで向かうも、
辺り一面真っ暗閉店状態ではあったのだが、
橋を渡った辺りのホテルになんとか逃げ込んだ。
周囲のカフェもほとんどが閉店済みではあったが、
何とか閉店間近なリバーサイドのカフェで食事も出来た。
ちなみに今回の旅路、
反省を込めたデトックス聖地ツアーなので、
土地柄、酒はもちろん肉抜きのベーガンスタイルという、
個人的前代未聞なノンアルコールな年末年始の過ごし方である。
そんな訳で、
思わずリシケシで迎えた大晦日。
周囲を一通り散策していると、
いたるところでニューイヤーパーティのお誘いを受け、
何だかイマイチ実感は無いが、
やはりどうやら年末らしい気もしてくるというものだ。
夜になり、
対岸のホテルらしきところから、
爆音でインド馴染みの流行曲が聞こえて来るが、
ソレ以外は随分静かな印象だ。
夜も九時を過ぎた頃、
近所のカフェで催されていた演奏会に参加した。
タブラとアコーディオンみたいな不思議な楽器のセッションだった。
それにしても、
11時頃には参加者もまばらになり始め、
何かないか!?と期待していた部分もあったのだが、
本当に静かに年越しの瞬間を自室で迎えることになった。
そんな静かな年越しかと思いきや、
12時丁度からは花火がケタタマシく鳴りはじめ、
新年を祝ってるんだろう奇声を子守唄に、
そうそうに初寝入りとしけこんだんだ。
大して寝ていない旅路のせいか、
気が付き起きればリシケシだった。
そして悪夢は再び蘇り、大雨が吹き付ける、
決して全くの願っては無いシチュエイションだった。
更に、どこにいるのかわからない。
かろうじてiPhoneが場所を教えてくれた。
どうやら「地球の歩き方」にはない、バススタンドらしかった。
オートの誘いをすべて振りきり、
歩いてラーム・ジューラー橋、ラクシュマン・ジューラー橋を目指す。
その道程は、もはや雨季だからとか、そんな風物詩的なものではないらしかった。
なにせ、橋の上で河原在住の住まいが流されているのをみんなで唖然とみているんだよ。
メインロード呼ばれる道は濁流にやられた車が溢れ、
マンホールが裏返る直前の歩行者には厄介な道になった。
途中からガンガー沿いのリバーサイドの道を進んだのだが、
当たり前といえば当たり前の話で、川沿いのリバーサイドは更に暴風雨の真っ只中だった。
全身がずぶ濡れ、他に濡れる場所はどこにも無くなった。
沐浴なんてする気もなかったが、
全身清めてもらったと思えば悪い気はしないかも?
だなんてヨコシマなことも段々に考えることをしなくなる、
ガンガーサイドで滝行状態に陥っていった。
なんとかかんとか、びしょ濡れのケータイだけはビニールでかろうじて保護しながら、
ラクシュマン付近でようやく宿を確保し、
濡れネズミのまま周辺観光散歩を経て、
近所のカフェで世話になり、夜をなんとか過ごしたんだ。
暑いとか、寒いとかの感覚が間違いなく日本人とは違うんだと痛感する船出である。
車内はガンガンに冷房が効き、
こちとら万が一に持ち込んだ厚手のブランケットで必死に寒さをしのぐ横で、
肥満体のネーチャンが、せいぜいシーツを被って寝息を立てている。
AC無しのスリーパーもなかなかの地獄だが、コレはコレで拷問である。
いつも思うんだが、要するに極端なんだよ、インドって。
朝の四時に地味に着くハルドワール駅は、
何だか知らないが、プラットフォームどころか駅構内に横たわる家族連れで賑わう?
一見奇妙だが、インドでは当たり前の光景から始まった。
むしろ僕の頭をよぎるのは、
雨季に対する危機感の欠如そのものだったと言って良い。
もちろん住んでいるハリヤーナ州でも、雨季はとっくに始まっているし、
とは言え、それほど降ることもなく舐めてかかっていたコトを猛烈に後悔し始めていた。
街の中心のガート、ハリ・キ・パイリーに着く頃にはずぶ濡れ寸前で、
ガート前でおばちゃんが売るビニールと、超早朝からやっているカフェで雨を凌いだんだ。
ようやく雨も落ち着き朝らしくなってきた頃、
ガートでは既に大入り満員の大賑わいであった。
異教徒の僕には、相変わらずよくやるなぁ的な印象なんだが、
普段はきっともっと綺麗なんだろうけど、
大雨の濁流の中、みんなで泳いだり、潜ったりする訳で、
まぁ、下流のヴァラナシよりは気持ちが良さそうに感じた気もするんだがね。
完全に日も明けて街も起きてきだした頃、
マンサーデーヴィー寺院をロープウェイで登りご挨拶を済ませ、
その足で、バススタンドからリシュケシュへ向かったんだ。
日本でいうところの「終戦記念日」は、
インドに言わせりゃ「独立記念日」に当たる。
とは言え両者のプロセスは、それほどキット関係なく、
そもそもインドの独立が47年の出来事だってのは、
勉強不足な僕にとっては、トリビアみたいなお話だった。
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