計画的のつもりで、 無計画に飛び込んだインド生活の、 テンヤワンヤなコトの顛末を綴ります。
突然始まった海外生活を振り返ってみると、
とはいえ当時から痛感していたんだけど、
「海外旅行」
と
「海外生活」
は全く別個のモノのように思う。
それは何も「海外」に限ったものでもないので、
「旅行」
と
「生活」
で比較するともっと分かりやすいだろう。
そして僕の場合なにせ、
「人生観が変わる!?」
とか言われるインドである。
例えばの話、
旅先の安宿でお湯が出ないとか、
停電しちゃったとかあったとしても、
「きっとコレでこそインド!」
とか言いながらネタとしてやり過ごせるだろう。
でもソレが日常生活の一部になった途端、
笑うに笑えず、
苦笑いと涙でひたすら対峙するしかない現実問題として立ちはだかるのだ。
それにしても、
さすがインドというしかないけれど、色々あった。
多分最初に出くわした驚きの出来事は、
「牛肉流通禁止」
だったように思う。
常々その可能性は聞いていたんだけどソレは突然やってきて、
明日から一切の提供を禁止するっていうんだから寝耳に水ってのはこのコトである。
幸い?
僕の勤めていた焼き鳥屋はオーナーが牛肉提供をそもそもNGだったから
問題なかったのだけれど、
近所のステーキ屋は、水牛の肉を提供するようになったw
そういえば、街の名前も突然変わった。
「グルガオン」
から
「グルグラム」
になったようだ。
そしてトンデモない極め付けが、
高額紙幣の流通禁止であった。
レストランの営業終了後にインド人マネージャーが笑いながら話しかけて来る。
「山本さん、知ってるかい?明日からこの千ルピー札使えなくなるんだよ」
「え、なんの話?」
「さっき、首相が演説したんだよ、明日からコレは紙切れってコトさ。」
そんな訳で、翌日から本当に流通停止。
朝から銀行には両替の長蛇の列で
数少ない新紙幣を奪い合うカオスがしばらく続くコトになり、
レストランでも旧紙幣での支払いはお断り。
決済は全てカードか小額紙幣のみという状況になったのだ。
更にカード決済までシステム異常なのか、停止する羽目になった。
ソレにしても面白いモノで、
インドでの日本人社会は小さいコミュニティというコトもあるだろう。
旧紙幣もカードも使えないというあり得ない状況の中で、名刺を貰いながら、
「今回はツケってコトで、次回ご来店の際にお願いします」
という日本では考えられない対応で難局を乗り切ったのである。
そんな訳で僕は、
「価値観が変わる」
ってほどでもないけれど、
どうあっても動じないスタンスが鍛えられた気はしなくもないかも知れない。
このブログを締めくくろう!
と思いつつ、なかなか重い腰があがらずに、
随分と時が経っておりました。
そんな折、
縁あって、地元群馬は桐生市のタウン情報誌にて、
コラムを担当させて頂くことになりました。
折角なので、
この機会とこの場も借りて、
インド滞在の総括と締めくくり
にしたいと存じます。
では全4回の第1話、張り切ってどうぞ〜
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人生とは本当に不思議なもので、2014年(平成26年)
僕はインドの日系焼き鳥屋に就職した。
キッカケは、妻がインドでの日系美容室の立ち上げに、
実はその随分前からインドに行く事は決めていて、
なにせ妻が突然渡印を決めて来たもんだから、その夜に決意し、
そもそもなぜインドなの?
よく聞かれる話だけど、正直個人的には、
新婚旅行で行った初インドでは、首都デリー、
ガンジス川で有名なバラナシでの滞在で、
最終的には、
とはいえ、インドあるある的なお話で、
帰国後数ヶ月して妻が、インドに帰りたい!
その当時進めていた自分達のお店開店計画が紆余曲折を経て頓挫し
そして東日本大震災もキッカケといえば、
実は結婚前、僕らは前橋と桐生でそれぞれお店をやっていて、
僕は喫茶店、彼女は美容室を経営していた。
震災を経て僕らが感じた事は、
それぞれ桐生と前橋で、そう遠くないとはいえ、
そして、
いっその事県外で?何なら国外でも!?それならインド!
僕らにとって渡印は必然の選択だった!(かな?)
そんな訳で、
準備していたようで突然決まったインド生活は、
右も左も分からないけど、
「旅というものはな、
とは「男はつらいよ」の寅さんの言であるけれど、
どうやら僕たちは、
コトの詳細は、「印度の小噺」で検索いただけば、
今回のコラムでは、印度生活のダイジェスト&
自戒も含め改めて、徒然に書き連ねてみたいと思う。
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きっとポンディシェリーに来たからには、
たぶんオーロビルに行っといたほうがいいだろう。
だなんて失礼ながら随分ぶっきらぼうに想っていた。
せっかく寄宿させてもらったオーロビルのアシュラムで、
事前に聞いていた前日予約じゃなきゃ入れない、
黄金の球体ことマトリマンディルの予約をお願いしてみた。
すると現地での予約でないと受け付けられないとのことだった。
迂闊にもそろそろ夕方というのに加えて、
一旦進んで戻るのってのが苦手な当方は、
オーロビルに行ってからポンディに戻って来るのがなんだか辛い。
そして翌日同じ道を辿るのも面倒臭いんだ。
そんなモノグサな当方は、
翌朝発の適当なローカルバスに目的地を告げ、
オーロビル最寄りのバス停まで連れて行ってもらったのだ。
着いたバス停はどうやらオーロビルまではまだまだ遠いようだ。
更にはいつものように集まり来るリキシャは、
外国人目当てに当然のようにふっかけて来る。
とりあえず一目散にリキシャを蹴散らして、
目的地であるオーロビルを目指してみることにした。
一本道をひたすら歩いてみると、
段々にそれらしいお店やカフェが立ち並び始める。
もう少しで着くかな?だなんてソコらに聞いてみたら、
まだまだ序の口だよってんで、通り掛かったリキシャを拾った。
おかげさまでグイグイ飛ばすリキシャさんにゲートまで連れてって貰い、
往復でディスカウントしてもらった都合上、
「どれくらい掛かるか解んないけど、すぐ帰って来るからさ!」
と言い残して、ボクはオーロビルの森に消えて行ったんだよ。
【南インドのエコヴィレッジ オーロヴィル まとめ】
https://matome.naver.jp/odai/2146047380124750501
ダージリンでの日々は、
ほとんどを送金した手前、
手持ちが極端に少なかったのもあるけれど、
手頃なチベタンダルバートとモモを中心に、
お酒もかなり控えめで過ごす、
心身ともにデトックスな日々を過ごしていた。
朝ちゃんと起きてパランタとかの朝食を頂き、
お昼はご飯大量食べ放題ダルバート。
おやつに肉まんやモモをツイバンで、
夜もダルバートで満腹コースという、
書き連ねてみるとあんまりデトックスじゃなさそうだけど、
辛くもなく丁度よい美味しさがそこにはあったのだ。
そしてご飯の間に散歩や動物園、
ロープウェイはやってなかったけど、
トイトレイン観察をして過ごしたんだ。
丁度僕らの滞在中だけ天気も良かったんだそうだ。
実に快適ハンパない心地ではあったんだけど、
そう言えば一つやり残したコトがあった。
早く起きても結局布団でひとり戯れちゃって、
3日とも朝日を見に行かなかったんだヨネ。
まぁ仕方ないとしておこう。
今まで朝に動き出す習慣が全くなかったからとはいえ、
でもまぁ、動けるなら動けよヤれよホトトギスだよねー。
と少しだけ反省している気もするんだよ。
熱波なデリーとそれほど変わらないような気もする?
暑さのシリグリの街並みで、
ゆっくりとウォーミングアップした後、
いよいよ今回の本題第一弾
のダージリンへ向かうコトになった。
移動手段は自身初の4WD仕様のジープタイプである。
とは言え今までの乗り合いと対して変わらない、
逆に心配になる位チープな旅費での移動である。
道中、有名なマカイバリ農園の視察や、
トイトレイン停車駅探索を挟みながら、
次第に高度は高くなり、道は狭くなっていく。
どうやら本格的な観光シーズン到来の、
世界的有名なこの避暑地は本当に涼しくて、
涼を求める印度人の皆様が殺到して来ていた。
そんな4月初旬の今回はここダージリンで、
のんびり3日ほど滞在することになったんだ。
同じ街に数日いるなんて、
せっかちな自身の過去を振り返ってみても
記憶に無いし、記録にも無いだろう。
こんな滞在にこそ、
"のんびり"
という言葉を使いたいもんだよね。
そんな訳で、
それ位ホントにのんびり過ごすコトにしたってワケなのさ。
「もったいない。」
という言葉は日本にしかない。
とかってよく見聞きする話だし、
褒められたくて仕方ない自画自賛で、
実際食品廃棄量世界トップクラスな、
日本なんかに言われたくはないけれど、
インドに「もったいない」って気分が無いのは身を以て知っている。
まぁインド発祥の仏教由来な言葉だろうが何だろうが、
仏教を排斥する身の上なんだからソレも仕方がないのかも知れない。
そんな風にヒネくれながらスタッフ達の食生活を観察しているのだ。
彼らはベジでもないんだけど、いつもベジのカレーを賄われている。
訊けば予算が少ないから!とか何とか愚痴をこぼしてくるんだけど、
その前に確認すべきコトがあんだろ!と毎度指差し確認をするんだ。
この大量に余って廃棄してる残飯の量を精々適正な量に制限してさ、
その余剰でいくらかでも肉だろうが買えるんじゃないのかい!!?
そんな風に何故か必死に無駄根絶を訴える僕を、
彼らはポカァんと不思議そうな顔をして眺めてくるのだ。
「食べなよ、全部!ちょっと残ってんじゃん!」
「え、お腹いっぱいですしサー!!捨てますサー!」
こんな調子でいつも無残に捨て置かれるチャパティの活用法に頭を巡らせてさ、
ピザとかカティロールとかを作っては一人だけ肥える日々を過ごして来たんだ。
そういえば、
人が手をつけたものにも決して手を出さない気がする。
それはインド飲みをする理由にも起因するんじゃないかと邪推するんだけど、知らない。
ふと見かける貧しくて飢えたはずの路上でも、
チャパティや残飯は結構豪快に捨ておかれているけれど誰も手を出さず、
そんなスパイシーな味で牛や犬、豚が育って行っているのかも知れない。
嗚呼コレは食物連鎖の一環なのだ!食料の差別ない平等なシェアなのか!
といえば、いえそうな気がしてくるし、確かに路上でも太っちょはいる。
どちらにしても残飯漁りに毒物を散布して駆逐する鬼畜よりましだろう。
そう考えてみると、インド人の大らかさと適当な優しさが解って来る気もする。
日本に帰ったら改めてどう感じるのかな?
インドで覚えた違和感とか親近感は全部しっかり忘れない様にしたいと思うし、
ソレこそが自分自身への土産なのかも知れないよね!?って想うことにしよう。
【第19話・インドの路上観察入門|インドの小噺】
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