計画的のつもりで、 無計画に飛び込んだインド生活の、 テンヤワンヤなコトの顛末を綴ります。
『年末年始はどこへ行こうか?』
毎度が毎度イキアッタリバッタリな我々ではあるが、
一応の年越し計画を立て始めたのである。
ケララもいいけど、ちょっと高値じゃないか?
それならチェンナイ、バンガロール辺りはどうだろう?
近場でゆっくりリシケシ、ハリドワールってのも悪くないけど、
ボクはこの前一人で行ってきたんだよねー。とか。
計画段階が一番楽しいとの話もわからなくもないし、
確かにそのようにも思わなくもないんだが、
そのあたりの想像力に欠けるボクは、
「とにかく行ってみなくちゃ解らない!」
が基本姿勢の予習が出来ない典型的な駄目パターンである。
そんな中、
妻の鶴の一声で行き先はネパールに決定した。
さて、
予習の苦手な駄目男ではあるが、
先日の中国での反省を踏まえ、
事前にどれだけ予習をするのだろうか?
折角だからネパールに住む友人たちにも会いたいし、
大雑把なルート位は想定しておきたいところである。
とは言え、
旅の大師匠・車寅次郎先生が耳元でささやくんだ、
『旅というものはな、行き先を決めてから、出かける、というもんじゃねぇんだよ。』
てね。
はてさて、行く末はいかに。
楽しみなのであるよ。
近頃インド人青年の運転で、
ハイウェイを走ってもらうコトが増えたんだが、
インドのハイウェイは、
流石に一筋縄ではイかないのである。
まず、
ホントにハイウェイなのかが解らない。
料金所があったり無かったりでゴチャゴチャである。
そして、
牛やチャリンコ、人もいるので要注意である。
さらに、
ウインカー不使用はもちろん、
車線なんて関係なしでクラクション鳴りっぱなしの、
インド人も認める無法運転の巣窟なので、
個人的には絶対運転したくはないのである。
そんな中、
新旧織り交ぜたヒンディ音楽を聴かせたくて仕方ないご様子の運転手君は、
イントロでこちらの様子を伺いながら、
矢継ぎ早に次を聴かせるDJプレイを仕掛けてくるのだ。
ついウタタネすると、
「寝るのか?」
と残念がるので寝るに寝れない。
それより何より気になったのは、
インドのトラック野郎のデコトラがダさカッコいいのであるよ。
もちろん以前から知ってはいたが、
多種多様なデコラティブトラックたちはなかなか個性的で面白い。
コレはずっとハイウェイ沿いで観察していても飽きないかも知れない。
とは想ってみたが、
身体を壊しそうなのでやる事は無いだろうとは思うんだがね。
寒くなってくると、
流石に水じゃ身体を洗えない。
当たり前じゃないか!
と言われそうだが、
意外と身につまされる話なのである。
何でインドのお湯事情ってのは、
瞬間湯沸かし器くらい無いのだろうか?
ずっと疑問に思っていた。
インドでポピュラーなのは、
ギザっていう湯沸かしポッドみたいな代物なんだが、
使える水量も限られているし、
どうも効率悪いように感じられるのだ。
「パロマとかリンナイとかぼろ儲け市場じゃないか!!?」
そんな中で事情通の話を伝え聞いたのは、
「瞬間湯沸かし器は水圧が必要なので、ココでは使えない」
んだそうだ。
確かにかつて日本の我が家でも、
自分で水道工事したら水圧が落ちてしまい、
お湯が出にくくなった事があった。
そしてココインドの水道事情は、
まずボロタンク車がやって来て、
屋上へその水をポンプアップし、
それを重力でチョロチョロ各家庭に供給している訳なので、
そんな圧力なんて耐えうる構造では無いのであった。
あたりを見渡すと、
管理人や居住者の一部は我が家横の共有トイレで身体を洗っている。
よくよくソコを覗いてみると、
そもそもギザも付いていないコトに気がついた。
っていうか、
シャワーも無いし。
それって要するに只のトイレじゃねーか!!?
確かに鍛錬込みの行水として捉えたら、
ありなのかも知れないし、
そもそも我らがワガママなだけの話と言われたら、
返す言葉が無いかも知れないなぁとも想わなくもないかも知れないと思うのだった。
日本に比べりゃ屁でもないかも知れないが、
ココいらデリー界隈も随分寒くなって来て、
休みの日には掛け布団を探してる訳なんだ。
とは言え、
オススメしたくなるような土産物も正直滅多に見当たらないお国柄である。
購買意欲をソソラレルような、
お気に入りの素敵な逸品だなんてお目にかかれないので困っているんだよ。
謎のキャラクターものやケバケバしいデザインのものなら幾らでもあるし、
モノが無い訳では決して無いんだが琴線に触れる事が滅多に無いのである。
相性が悪いといえば、そうかも知れない。
素直に妥協する事も、必要かも知れない。
寒いのは向こう二ヶ月くらいだそうだから、
現状のブランケットと以前旅行で買った布でしのげるかも知れない。
涙ながらに泣き寝入りするか?
そのまま凍えてただ寝入るか?
そろそろ正念場なのかも知れないのであるよ。
近頃犬を観察している。
何て暇なんだろう?って程ではないんだが、
道を歩けば必ず見かけるんだから仕方が無い。
彼らは本当にどこにでもいて、
とはいえ行動範囲はそれほど広くなさそうだ。
子供の頃から顔なじみの犬などは、
その成長を垣間みながら、
実家に預けた柴犬を思い出している。
思い出しながら思い描くのは、
多分うちの柴君ではこんな世界で生きて行けないだろう。
ということだ。
それはきっと彼に限らず飼い犬のもつ宿命だなんていったら言い過ぎだろうか。
こちらの飼い犬は、
なぜか年寄りなのか?よちよちよぼよぼのんびり散歩していることが多いんだが、
とはいえ喧嘩は売らないし、
売られる事も少ないように見受けられる。
むしろ後ろから野良犬たちが楽しそうに?追走していたりする。
うちの柴君は喧嘩は売らないが、
売られた喧嘩は買うタチなので、
きっと怪我だらけになるんじゃないか?
更には道路の真ん中で寝転がって保護された経緯の持ち主なんだ。
でももしかしたら、
生きて行けないだなんてコトは無いのかもしれない。
うちの柴君も含め、
リードに繋がれて大事に管理されている日本の犬たちは、
世間を知らないだけなんだろうと想う。
走り回って喧嘩したり、
道路を横切って轢かれたり、
人間に蹴られたりしながら弱々しくも逞しく生きている野良犬たちをみるにつけ、
そんな風に想うんだ。
道を歩けば犬たちは、
右みて左で様子を見、
人間や車との間合いを観察し、
付かず離れず生活している様なんだ。
そういえば、
この前立ち寄った屋台で、
何だか優しい光景を目にしたんだょ。
閉店間際、
スープで煮崩した鶏ガラを犬たちに与えていたその店主たちは、
恐らく轢かれて後ろ足を骨折している負け犬君の為に、
他の犬たちを諭しながら鶏ガラを負け犬君から与えていたんだ。
そんなんだったら病院連れてってやれよ!
と思うかもしれない。
でも僕らに出来る事はなかなか限られているし、
多分やる人も少ないだろう。
意外と貧しい人間ほど、
他の人やモノコトに施す気持ちがあるようにも想う。
そんな訳で野良犬たちは、
そんな風に日々を過ごし、
遠吠えや喧嘩、事故や飢餓を乗り越えて、
子孫を残して命を繋いでいるようなんだ。
そんなやり取りを眺めながら、
物見遊山で傲慢な当方は、
その印象をインド人の生き方に重ねて連想し、
そのクセ自分の子孫を残すコトをしてないだなんて、
何て破滅的な生き方なんだろうか!!
弱肉強食って何?
適者生存って何?
だなんて考えながら、
頭でっかちなコウベをぶら下げて、
平気な顔でホッツキ歩いている訳なんだ。
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